2022年後半、IBMは433個の量子ビット(キュービット)を含むプロセッサーを搭載した史上最大の量子コンピューティング・システムを開発し、記録を打ち立てた。キュービットは、量子情報処理における基礎的な構成要素だ。現在、IBMは目標を大きく引き上げ、10年以内に10万キュービットの量子コンピューターを開発することを目指す。
5月22日、IBMは広島で開催されたG7サミットでこの発表をした。東京大学、シカゴ大学と提携し、1億ドルのイニシアチブにより量子コンピューティングの本格稼働を目指す。実現した場合、量子コンピューティングは標準的なスーパーコンピューターでは解決不能な差し迫った課題を解決する可能性を秘めている。
正確に言えば、量子コンピューターは単独で問題を解決することはできない。10万キュービットの量子コンピューターを最高性能の「従来型」スーパーコンピューターと連携させることで、創薬、肥料生産、電池性能などさまざまな用途において新たなブレークスルーを実現するという考え方だ。「私はこれを量子中心型スーパーコンピューティングと呼んでいます」。IBMの量子部門で副社長を務めるジェイ・ガンベッタは、5月中旬のロンドンでの対面インタビューでMITテクノロジーレビューに対してこう語った。
量子コンピューティングは、素粒子独自の性質を活かす形で、情報の保持と処理を実行する。電子、原子、小分子といった素粒子は、同時に複数のエネルギー状態で存在しうる。この現象は重ね合わせと呼ばれ、粒子の各状態は互いに連結あるいはもつれ合うことができる。この性質によって、新たな方法で情報のエンコードや操作が可能になり、従来では不可能だった様々なコンピューティング・タスクの可能性が開かれるのだ。
現時点ではまだ、量子コンピューターはスーパーコンピューターに不可能な領域において有益な成果を出せていない。これは主に、量子コンピューターのキュービットの数が足りていないこと、物理学者がノイズと呼ぶ環境内の微細な摂動によって、システムが簡単に乱されてしまうことが原因となっている。
研究者はノイズ混じりのシステムで間に合わせるための方法を探ってきた。だが、量子システムが真の意味で有益なものになるためには、ノイズによって誘発されるエラーの修正にキュービットの大部分を充てるために、大幅なスケールアップが必要だと見込む向きは多い。
大きな目標を掲げたのはIBMが初めてではない。グーグルは2020年代末までに100万キュービットの実現を目指すと発表しているが、エラー修正を差し引くと計算に使えるのはわずか1万ビットとなる。メリーランド州に拠点を置くアイオンQ(IonQ)は、1024「論理キュービット」の量子コンピューターを目標に掲げている。1つの論理キュービットは13の物理キュービットによるエラー修正回路で構成され、同社は2028年までに計算を実行させることを目指している。パロアルトに拠点を置くサイクォンタム(PsiQuantum)も、グーグルと同様に100万キュービットの量子コンピューター開発を目標にしているが、開発期間やエラー修正要件は明らかにしていない。
こうした要件があるため、物理キュービットの数を引き合いに出すのは本質から目をそらすことであると言える。量子コンピューターがどのように構築されているのかという詳細が極めて重要であり、それがノイズに対するレジリエンス、運用の容易さといった要素に影響を与えるからだ。開発に取り組む企業は大抵の場合、「量子ボリューム」や「アルゴリズミック・キュービット」の数など、付加的な性能指標を提示している。今後10年間でのエラー修正、キュービット性能、ソフトウェア主導のエラー「軽減」の進歩、さらに種類の異なるキュービット間の主な違いといった要素が、量子コンピューター開発競争を追うことをとりわけ困難にしている。
ハードウェアの洗練
IBMのキュービットは現在、超伝導金属の輪で作られている。これは、ミリケルビンという温度で操作される際に、原子と同じルールに従う。ミリケルビンは、絶対零度よりもごくわずかに高い程度の温度である。理論上、これらのキュービットは大規模な集団として運用できる。だがIBMのロードマップによると、同社が開発しているこの手の量子コンピューターは、既存のテクノロジーでは最大5000キュービットまでしかスケールアップできない。専門家の大半は、これでは有益な計算をするには不十分な数字だと述べる。強力な量子コンピューターを作るためには、エンジニアは大胆になる必要がある。そのためには新たなテクノロジーが求められる。
求められるものの一例として、今よりはるかにエネルギー効率に優れるキュービット制御方法が挙げられる。現時点でIBMの超伝導キュービットを稼働させるには、1つあたり約65ワットが必要だ。「10万キュービットにしようとした場合、大量のエネルギーが求められます。マシン1台を作るのに、建物1棟ほどのサイズと、原子力発電所、10億ドルが必要になります」ガンベッタ副社長はそう話す。「そんなのは言うまでもなく馬鹿げています。5000を10万にするために、イノベーションが必要なのは明らかです」。
IBMはすでに、「相補型金属酸化膜半導体」(CMOS)をベースにした一体型回路テクノロジーをコールドキュービットの隣に設置することで、1キュービットをわずか数十ミリワットで制御できることを示す原理証明実験を済ませた。ただし、さらにその先の、量子中心型スーパーコンピューティングに必要なテクノロジーはまだ存在しないとガンベッタ副社長は認める。だからこそ学術研究は、このプロジェクトにおいて必要不可欠な要素なのだ。
量子中心型スーパーコンピューティングのキュービットは、ある種のモジュラーチップとして存在することになるが、これはまだIBMの研究所で形になり始めたばかりだ。モジュール性は、単一のチップに十分なキュービットを入れ込むことが不可能となった場合には不可欠だが、モジュール間で量子情報を転送するための相互接続が必要となる。IBMは量子通信接続機能を備えた1386キュービットのマルチチッププロセッサー「コッカブラ(Kookaburra)」を開発中で、2025年のリリースを予定している。
その他に必要なイノベーションを、大学が担うことになる。東大とシカゴ大の研究者らは、コンポーネントや通信といった分野において、完成品に不可欠要素になり得るイノベーションを既に大きく前進させているとガンベッタ副社長は言う。同副社長は、今後の10年で産学連携が大幅に増加する可能性が高いと考えている。「産業界は、大学が最善を尽くせるよう支援しなければなりません」とガンベッタ副社長は話す。グーグルも同じ考えだ。IBMとは別に東大およびシカゴ大と契約を結んでおり、量子コンピューティング研究に5000万ドルを出資している。
この産業には、より多くの「量子計算科学者」も必要だとガンベッタ副社長は言う。マシンを作る物理学者と、有用なアルゴリズムの設計と実装をする開発者の橋渡しのスキルを持つ人々だ。
量子コンピューター上で実行されるソフトウェアも極めて重要だ。「私たちはこの産業をできるだけ早く作り出したいと思っています。そのための最善の方法は、従来のソフトウェアライブラリに相当するものを人々に開発してもらうことです」とガンベッタ副社長は語る。だからこそIBMは、自社のシステムを学術研究者が利用できるようにこの数年間、取り組んできたのだと言う。IBMの量子プロセッサーは、量子コンピューティングの専門知識に関する理解がほぼ不要な特注インターフェイスを利用してクラウド経由で動作させられる。ガンベッタ副社長によると、IBMの量子デバイスを使った実験について書かれた研究論文はこれまでに約2000件あるという。「イノベーションが起こりつつある良い兆しだと思っています」。
このプロジェクトに割り当てられた1億ドルという予算が、10万キュービットの目標を実現するために十分な額だという保証はない。「リスクは間違いなくあります」とガンベッタ副社長は言う。
シンガポールに拠点を置く量子ソフトウェア開発企業、ホライズン・クォンタム(Horizon Quantum)の最高経営責任者(CEO)であるジョー・フィッツシモンズも同意見だ。「サプライズのない、まったく平坦な道のりになることはあり得ないでしょう」とフィッツシモンズCEOは話す。
だが、これは取らねばならないリスクだとフィッツシモンズCEOは付け加える。この産業は失敗の恐怖と向き合い、大規模量子コンピューティングが直面している技術的課題の克服に挑まなければならないからだ。障害になり得る要素は潜在的に数多く存在するものの、IBMの計画は妥当なものに思えるとフィッツシモンズCEOは言う。「この規模では、制御システムが制限要因になります。それほど大量のキュービットを十分に効率的な形でサポートするには、大きな進化が必要になるでしょう」。
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