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Saturday, February 6, 2021

人は「死んだら」どうなるのか…じつはその「答え」はすでに決まっていた!(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース

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宗教は「根拠のない気休め」なのか  

「死のリアリズム」を超える

 死のリアリズムの、どこが問題か。  第一に、傲慢であることです。死のリアリズムは、宗教は「根拠のない気休め」を、選択しているとみなします。けれども、死のリアリズムも、根拠のない選択をしている点では、同列なのです。自分も選択をしていることに、謙虚でなければなりません。  第二に、死のリアリズムは、「このわたし」の死を、考えることができません。宗教はみな、「このわたし」の死を包み込む考え方をもっています。それに対して、死のリアリズムは、経験にもとづく常識と、科学とだけにもとづきます。  どちらも、一般的な知識です。「このわたし」の死は、ただ一回の個別的な出来事です。一般的な知識では、決して考え切ることができないのです。  「このわたし」の死は、死んだらどうなるかを「選択」しないと、考えることができません。いまこの文章を読んでいて、死のリアリズムで十分だと思っていたみなさんは、ぜひこのことを、胸に手をあてて、じっくり考えてみてほしいと思います。  人生にピリオドを打つには、死のリアリズムを越えて進まなければなりません。  このことに思い至るとき、世界のさまざまな人びとが、宗教をどう選びとって来たかについて、敬意が湧いてきます。それは、さまざまな人びとの生き方に、敬意を抱くことなのです。過去、日本で生きたさまざまな人びとに対しても。

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