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Tuesday, June 2, 2020

「ここに立つとさまざまな無念がよぎる」雲仙普賢岳噴火29年 犠牲者を悼む僧侶 - 毎日新聞 - 毎日新聞

 長崎県の雲仙・普賢岳で1991年6月3日、消防団員ら43人の命を奪った大火砕流を目の当たりにした僧侶の吉田恵徳(えとく)さん(45)=同県南島原市=は、毎年6月3日、現地で犠牲者の冥福を祈ってきた。惨劇から29年。山の景色が変わり、災害の記憶が薄れても、悼むことで記憶をつなぎたい。その思いは今も変わらない。

 あの日、同県島原市の県立島原高校2年生だった吉田さんは、普賢岳から約7・5キロ離れた同県布津(ふつ)町(現南島原市)にある自宅の妙法寺にいた。午後4時8分。「ガラガラ」と岩が転がる音を聞き外へ出ると、山肌に沿って噴煙が滑り落ちるのが見えた。その夜、テレビ画面にちらりと映った黒焦げの遺体に言葉を失った。火砕流は島原市の上木場(かみこば)地区にいた住民や消防団員、報道関係者らを次々に巻き込んでいた。火砕流や土石流はその後も断続的に発生し、妙法寺の境内にも火山灰が5センチも積もった。

 東京の大学を卒業後、97年に実家の寺に戻ると、古里を襲った災害に本格的に向き合うようになった。檀家(だんか)の家を回って災害の爪痕の大きさを知ったのが理由だ。

 ある女性は、上木場地区の葉タバコ畑で農作業中だった両親を失った。母親は行方不明で遺骨が見つからず、一人娘の女性が畑で拾った石を仏壇に供えて供養していた。当時消防団長だった男性は、別の消防団に属していた知人を失った。「火砕流のあまりの猛威になすすべがなかった」と無念そうに振り返る姿がいたたまれなかった。

 十三回忌の2003年6月3日の「慰霊の日」、吉田さんは消防団員の詰め所だった「北上木場農業研修所」跡地や、報道関係者が集った「定点」のある上木場地区で初めてお経を上げた。目の前に普賢岳がそびえ立ち、「思わず足がすくんだ」。以来15年以上、6月3日だけ立ち入ることができるこれらの場所で欠かさず慰霊を続けている。

吉田恵徳さんが高校生の頃に集めフィルムケースに入れて保管してきた火山灰=長崎県南島原市で2020年5月26日午後3時55分、今野悠貴撮影

 「これが当時の火山灰だよ」。大火砕流から28年がたった昨夏、吉田さんは自室の本棚に大事に保管してきたフィルムケースに入った火山灰を初めて長女で当時小学5年の恵理華さん(11)に見せた。「何かに使えるかも」と境内に積もった灰を集めたものだ。民家から土石流をかき出すボランティアをしたことなど自身の体験も語った。災害の風化が進む中、「人知を超えた災害はいつ起きるか分からない。あの日を知らない子どもたちに語り継がなければ」と思ったからだ。

 恵理華さんは生まれる前に起きた大災害について初めて父から話を聞き、心揺さぶられた。夏休みの自由研究で灰を顕微鏡で分析し、とがったガラス質でできていることを知った。研究内容は雲仙岳災害記念館(島原市)に展示された。「普賢岳のことをもっと詳しく調べたいと思った」。恵理華さんはそう感想をつづった。

「子どもたちにあの日のことを語り継ぎたい」と語る吉田恵徳さん(後方は雲仙・普賢岳)=長崎県南島原市で2020年6月2日午後1時11分、徳野仁子撮影

 「亡くなった人たちはもっとやりたいことがあったろう。ここに立つと、祈りの中にさまざまな思いがよぎる」。吉田さんは今年も、深緑の普賢岳の前で手を合わせる予定だ。【今野悠貴】

雲仙・普賢岳の噴火災害

 1990年11月17日、長崎県の島原半島にある普賢岳が198年ぶりに噴火。翌91年6月3日に大火砕流が発生し、43人の死者・行方不明者が出た。その前後にも土石流や火砕流が頻発。96年6月3日の終息宣言までに計44人が犠牲になり、建物被害は2511棟、被害総額は2299億円に及んだ。噴火で形成された溶岩ドームはペイペイドーム(福岡市)約53杯分の1億立方メートルと推定され、今なお崩壊の恐れがある。

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June 02, 2020 at 04:30PM
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