国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)、物理計測標準研究部門 量子電気標準研究グループ 中村 秀司 主任研究員らおよび東京理科大学 吉岡 輝昭 大学院生と蔡 兆申 教授らは、超伝導量子ビットを高い忠実度で高速に初期化する新しい手法を開発しました。
近年提案されている量子誤り訂正をもちいた大規模な量子コンピューターでは、量子ビットを任意のタイミングで高速かつ高い忠実度で初期化する必要があります。本手法は、超伝導量子ビットの励起状態を光子の状態に変換し、変換した光子をナノ加工によって作製した超伝導・常伝導接合で吸収することにより、超伝導量子ビットを初期化するものです。この手法では量子ビットへの影響を小さく保ったまま、高い忠実度で高速に量子ビットを初期化することができます。本研究ではこの手法を用いて、従来の手法に比べて約65%に短縮した約180ナノ秒(1ナノ秒は1秒の10億分の1)の初期化時間において99%以上の忠実度で量子ビットを初期化することに成功しました。各国で盛んに研究が行われている量子コンピューターの実現に向けた研究開発への貢献が期待されます。
なお、この技術の詳細は、2023年10月30日(インド時間)に「Physical Review Applied」誌に掲載されます。
下線部は【用語解説】参照
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開発の社会的背景
近年、従来の計算機では処理に時間がかかる特定の問題に対して、量子力学的な現象を利用することで高速に処理を行う量子コンピューターに注目が集まっています。この量子コンピューターは、暗号や最適化問題、化学反応のシミュレーション、金融などの分野で大きな力を発揮すると期待されており、今後、一層その発展が予測されています。
従来の計算機で用いられる情報の単位は、「0もしくは1」であるビットですが、量子コンピューターでは、「量子力学的な重ね合わせ」によって実現された「0であり同時に1」である量子ビットを利用します。この量子ビットは、半導体中の電子スピンや超伝導回路によって実現することが可能で、現在その研究開発が世界各国で続けられています。
このような量子ビットを用いた量子コンピューターでは、従来の計算機と同様に計算を始める際にビットを初期化する必要があります。最も単純な初期化方法は、量子ビットのエネルギー緩和時間を越えて待機することで実現が可能です。しかしながら、量子計算機の研究開発の進展に伴う量子ビットの性能向上によって、量子ビットのエネルギー緩和時間がサブミリ秒(1秒の1万分の1)からミリ秒(1秒の千分の1)程度と長くなっており、初期化時間を短縮するための能動的な手法が求められています。また、近年提案されている量子誤り訂正においても、“量子ビット”を保護するための“量子ビット”を繰り返し初期化する必要があるため、高速で忠実度の高い初期化技術の実現が待たれています。
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研究の経緯
近年、海外の他のグループによって、超伝導・常伝導接合に量子回路から光子を吸収する能力のあることが実証されました。この超伝導・常伝導接合を利用することで量子ビットの一種である超伝導量子ビットの初期化が加速されることも理論的に示され、新たな初期化の手法として注目を集めました。一方で、この手法は、超伝導量子ビット自体の性能を低下させてしまうという欠点もあり、その解決が待たれていました。
東京理科大学蔡研究室は、量子コンピューターの研究開発においてトップランナーの一つであり、超伝導量子ビットの研究開発を行ってきました。そのような中、2021年、「超伝導・常伝導接合」と「超伝導量子ビット」とを「超伝導共振器」を介して接続することで、超伝導量子ビットの性能を低下させることなく高速に初期化できることを理論的に示しました。一方で、産総研ではこれまで、電流の“ものさし”である量子電流標準を実現するために、超伝導・常伝導接合の研究を進め、世界最高品質の接合作製技術を有していました。そこで、2020年より両者が協調して研究を進めてきました。
なお、本研究開発は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究 B「幾何学的磁気構造を用いた回路量子電磁気学の研究(研究代表者:中村秀司)」、同国際共同研究A「幾何学的磁気構造を用いたハイブリッド量子素子の研究(研究代表者:中村秀司)」、JST CREST「超伝導人工原子を使った光子ベースの量子情報処理(研究代表者:蔡兆申)」、NEDO 「量子計算及びイジング計算システムの総合型研究開発(研究分担者:蔡兆申)」、JST(ムーンショット型研究開発事業「超伝導共振器を用いたボゾニックコードの研究開発(課題推進者:蔡兆申)による支援を受けています。
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研究の内容
本研究では、「超伝導・常伝導接合」と「超伝導量子ビット」とを「超伝導共振器」を介して接続した素子(図1)を作製し実験を行いました。素子の開発は産総研と東京理科大学で共同して行いました。
初期化の実験は産総研内施設において、産総研と東京理科大で共同で行いました。実験では、まず、100ナノ秒程度のマイクロ波信号を量子ビットに照射することで超伝導量子ビットを励起状態(|1>)へと遷移させます(図2 ➀)。続いて、①とは周波数の異なるマイクロ波信号を超伝導量子ビットに照射することで、「超伝導量子ビットの励起状態(|1>)」を「超伝導共振器中の光子」に変換します。この際、量子ビットは励起状態(|1>)から基底状態(|0>)へと緩和します(図2 ➁)。さらに、励起状態(|1>)を光子へと変換するマイクロ波と同期させて、超伝導・常伝導接合に電圧を印加することで接合によって光子吸収を行い(図2 ➂)、超伝導量子ビットの初期化が完了します(図2 ➃)。
本研究では、上記の初期化プロセスを繰り返して行い、量子ビットが初期化後に基底状態(|0>)にある確率を見積もりました。初期化時間の増加とともに、超伝導量子ビットの基底状態の確率が増加し(図3左図)、180ナノ秒で99%以上の忠実度で初期化が完了している(図3右図)ことがわかりました。また、実験結果と理論計算を比較し、本研究で行った超伝導量子ビットの初期化が、超伝導・常伝導接合の光子吸収によって加速されていることを確認しました。
超伝導・常伝導接合の光子吸収を利用することで、超伝導量子ビットの初期化時間を短縮できることを実験的に確かめました。この初期化手法は、複数の超伝導量子ビットの初期化にも適応可能であり、今後の大規模な量子コンピューターの実現に貢献する技術です。
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今後の予定
今後は素子と測定系の最適化することで、より高速な初期化を目指した研究を行います。さらに、大規模な量子計算実現に向けた第一歩として、複数の超伝導量子ビットに対する本初期化手法の有効性を確かめる研究を行います。
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論文情報
掲載誌:Physical Review Applied
論文タイトル:Active Initialization Experiment of Superconducting Qubit Using Quantum-circuit Refrigerator
著者:Teruaki Yoshioka, Hiroto Mukai, Akiyoshi Tomonaga, Shintaro Takada, Yuma Okazaki, Nobu-Hisa Kaneko, Shuji Nakamura*, Jaw-Shen Tsai* (* corresponding author)
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用語解説
超伝導量子ビット
量子計算において情報を格納し、操作を行うために必要な量子ビットを超伝導回路によって実現したもの。
忠実度
量子操作によって、意図した目標の状態をどれだけ正確に達成できるかを示した指標。
量子誤り訂正
量子計算において発生するエラーを、量子的に訂正していく手法。
励起状態
量子ビットに存在する2つの準位のうちエネルギーの低いものを基底状態、エネルギーの高いものを励起状態と呼ぶ。
超伝導・常伝導接合
超伝導体と常伝導体を数ナノメートル程度の絶縁膜を介して接続した素子。超伝導体は極低温環境下において電気抵抗がゼロになる物質、常伝導体は極低温にしても電気抵抗を伴う通常の物質。
量子力学的な重ね合わせ
量子的な系が、複数の状態を同時にとること。
エネルギー緩和時間
量子ビットなどが励起状態から基底状態へと遷移するまでに必要な時間。
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