ワープロソフト「一太郎」の生みの親でもあり、ソフトウエア開発・販売の「MetaMoJi(メタモジ)」(東京都港区)社長の浮川和宣(うきがわかずのり)氏(71)と妻で専務の初子氏(69)が出会ったのは、1969年、二人の母校だった愛媛大の「アマチュア無線部」説明会だった。
「女性でも男性と同等の仕事ができる」と、高校時代からプログラマーを目指していた初子氏は、その年に工学部へ入学した女子学生2人のうちの1人だった。時代は大学紛争まっただ中。6月ごろから授業がなくなり、二人は仲の良い友人らと喫茶店で集まって親交を深めていった。
大学卒業後、和宣氏は東芝の子会社「西芝電機」(兵庫県姫路市)へ就職し、船舶のモーターや発電の制御部門に配属された。特許や新技術の調査研究なども担当していると、次第に、机にコンピューターの特許関連の資料が多く積まれるようになり、「コンピューターの時代が来ている」と確信するようになる。
初子氏は卒業後、高千穂バロース(現日本ユニシス、東京)へプログラマーとして入社し、コンピューターのOS(基本ソフト)の開発を担当した。遠距離恋愛の末、75年に二人は結婚。初子氏は和宣氏のいた兵庫県姫路市に引っ越し、オフィスコンピューター(オフコン)の販売代理店で働くようになった。大企業に続き、中堅企業がコンピューターを導入し始めたころ。初子氏は週末に顧客企業へ出向き、経理や請求書の作成ソフトといった各会社の事業が求めるソフトの開発を担当した。
和宣氏は当時、勤め先へ向かう初子氏の送り迎えをよくしていた。いつものように初子氏を送り届けたある日、姫路市内の国道2号を運転しながら道沿いの会社を見ると、ほとんどが中小・零細企業ということに気付いた。「世の中は大企業だけじゃない」。中小向けなら起業できるのではないかという思いが膨らんでいった。
からの記事と詳細 ( 日本一となった太郎:コンピューター時代の到来確信 姫路で起業への思い膨らませ /2 - 毎日新聞 - 毎日新聞 )
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