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Sunday, August 27, 2023

企画展示「陰陽師とは何者か ーうらない、まじない、こよみをつく ... - 読売新聞社

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企画展示「陰陽師とは何者か―うらない、まじない、こよみをつくる―」
会場:国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B
会期:2023年10月3日(火)~12月10日(日)
休館日:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は開館し、翌日休館)
開館時間:9:30 ~ 16:30(入館は16:00まで)※開館日・開館時間を変更する場合があります。
入館料:一般1000円、大学生500円
詳しくは(https://www.rekihaku.ac.jp/)へ。

時代ともに役割を広げた陰陽師

あの安倍晴明をはじめ、映画や小説、舞台などでたびたび登場し、時に歴史を動かすような重要な存在として活躍する「陰陽師(おんみょうじ)」。実際の彼らはどのような存在だったのでしょうか。この展示では、あまり知られていない陰陽道(おんみょうどう)の歴史とそこから生み出されてきた文化をさまざまな角度からとりあげて考えてみます。
古代において成立した陰陽道は中世から近世へと数百年にわたり、その役割を広げながら、時代とともに多様に展開していきました。その姿を都状(とじょう)や呪符など具体的な史資料をもとに、明らかにしていきます。
安倍晴明は平安時代の実在した陰陽師ですが、陰陽道の浸透とともに、伝奇的なイメージが付け加わっていきます。その姿を追うことで陰陽道の性質をとらえることも試みます。さらに陰陽師たちが担った暦について、その製作や形式、移り変わりの様子を見つめることによって、人びとが陰陽道に求めたものが見えてくるでしょう。

渾天儀(こんてんぎ) 江戸時代 国立歴史民俗博物館蔵

《本展のみどころ》
①暦や占いの知識を集成した 「 金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)簠簋(ほき)」 や 現存最古の「大ざつしよ」など、確かな史資料にもとづいて時間と空間を意味づけた陰陽師のリアルな姿を明らかにします 。
②陰陽師が用いた呪符も展示。古代から近代のはじめに至る陰陽師の足あとをたどります。
③平安時代に活躍した陰陽師、安倍晴明の「ものがたり」を通して実像に迫ります。
④天体の位置を観測して暦を作るための器械「 渾天儀(こんてんぎ)」や、 天保暦からグレゴリオ暦に変わる、最後の旧暦資料「明治六年 癸酉頒暦(きゆうはんれき)」から暦に託されたさまざまな知識や工夫を読み解きます。

全体は3章構成です。(※章の構成と出品作品は変更になる場合があります)

<第1章 陰陽師のあしあと~あらわれ、ひろがり、たばねられていくその姿>

「周易伝義」 江戸時代 国立歴史民俗博物館蔵

―1 陰陽師、あらわる―古代の陰陽道

古代日本のなかで中国から伝わった陰陽五行説をはじめとするさまざまな知識や技術をもとにして、陰陽道が誕生しました。それらは陰陽寮で管理され、暦や天文に関する書物や道具とともに研究されました。古代国家の技術として陰陽道が成立し、陰陽師はそれに携わる役職をさしました。やがて、陰陽道は方位や時間に関する吉凶を占うとともに、生活のいろいろな場面でその知識が利用されるようになっていきます。国家の公的な制度から貴族たちの私的な領域にまで、陰陽道が影響を与えるようになり、陰陽師は生活の節目において人びとに頼られる存在と なりました。

―2  陰陽師、ひろがる―中世の陰陽道

「応長二年仮名暦」 鎌倉時代 国立歴史民俗博物館蔵

貴族ばかりではなく、武士たちも幕府を作り政治を行うなかで陰陽道を取り入れ、陰陽師の判断が政治に影響を与える場面が増えていきます。天皇や将軍をとりまく儀礼を陰陽師がつかさどり、その知識や判断は重要視されました。さらに陰陽道は朝廷に仕える陰陽師以外の人びとにも広がり、仏教や神祇信仰とも重なりあって発展していきます。戦国時代になると陰陽道は日本列島各地にも伝えられ、暦や天文以外にも、占いやまじないをはじめとする知識を持つ陰陽師が活躍するようになりました。

「占術・暦注雑書」 16~17世紀 国立歴史民俗博物館蔵 ※後期(11/7~12/10)は同名の別資料を展示

―3  陰陽師、たばねる―近世の陰陽道

近世に入ると陰陽師たちは、安倍晴明の子孫である土御門家を本所として組織化され、統制されるようになります。占いをする人びとを陰陽道の名のもとに編成することが試みられました。天皇や将軍、大名などの権威を支える役割をはたす一方で、陰陽師は占いや祭りを 行い 、呪符や神札を配ることで生活の安寧を祈りました。そうしたなかで多様に変化した陰陽道の知識や感覚は、やがて陰陽師を離れても伝えられ、また書物のかたちとなって広がっていくようになります。

天曹地府祭図 安永10年(1781) 国立歴史民俗博物館蔵

―4  陰陽師の仕事

陰陽師たちは時代のうつりかわりとともに、その身分や役割も変化しました。一方で時代をこえて陰陽師たちが担った仕事も数多くあります。暦の製作の他にも方角や日時をめぐる吉凶の判断や災いをさけるための工夫、陰陽道独自の祭りのやり方などは、社会のなかに組み込まれ、また、ふだんの生活のなかで、無視できない重みを持っていました。それらは陰陽道が、日本文化の重要な要素であることを示しています。

「鎮宅祭次第」 江戸時代 国立歴史民俗博物館蔵

―5  陰陽道と民俗

貴族や武家の生活のなかで発展した陰陽道は、やがて庶民にも広がっていきます。かまどの神をはじめとする日常の祭りはさまざまな場面で行われ 、特に疫病とそれをつかさどる神霊の祭祀は重視されました。江戸時代になると、陰陽道を起源とするまじないや占いが書物となり、多くの人びとに利用されるようになっていきました。

「大ざつしよ」 寛永8年(1631) 国立歴史民俗博物館蔵

<第2章 安倍晴明のものがたり~実像から虚像まで>

安倍晴明は平安時代に実在した陰陽師です。陰陽道は安倍氏と賀茂氏によって継承されていましたが、やがて安倍家の先祖のうち、晴明の事績がクローズアップされ、いろいろな説話となり、陰陽師のシンボル的な存在となりました。

東北院職人歌合「陰陽師」 室町時代 国立歴史民俗博物館蔵 ※後期(11/7~12/10)は複製を展示

晴明の他にも多くの陰陽師がいて、古代以来、活発に活動してきました。陰陽寮に出仕しながら、貴族や武家の私的な祭儀にかかわり、儀礼や祭祀に力を発揮しました。晴明と肩を並べる陰陽師、晴明を模範として活躍した陰陽師は少なくありません。晴明と彼らをまとめてとらえることで、陰陽師に期待されたものが何であったかを考えることができます。また安倍晴明の母親は狐であったとか、烏の声を聞き、その意味を知ることができたといった伝承も生まれました。こうした伝承は説話や芸能として豊かに展開しただけではなく、現代においては小説やマ ンガ、映画などの題材として 親しまれるようになりました。

「金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)(簠簋(ほき))」 天正12年(1584)写 国立歴史民俗博物館蔵 ※後期(11/7~12/10)は複製を展示

<第3章 暦とその文化~時間の可視化とその意味>

陰陽師のもっとも大切な仕事のひとつとして暦の製作と配布があります。古代・ 中世社会においては朝廷を中心に暦が作られ、陰陽師がその担い手でした。近世になると暦の製作に幕府も関与するようになり、その精度を維持することは重要な課題とされました。ここでは近世の奈良における暦師・陰陽師であった吉川家を中心にその活動を具体的に描いてみます。また渋川春海を中心に新たに作られた貞享暦をはじめとする近世の暦とその背景を探ることで暦に求められたことは何であったのか、を考えてみましょう。さらに暦には目に見えない時間をどのように表現するか、という命題を抱えています。そのための工夫や趣向についても取り上げてみましょう。

「明治六年癸酉頒暦(きゆうはんれき)」 明治5年(1872) 国立歴史民俗博物館蔵

そして、今から150年前、明治6年の太陽暦採用は日本列島上の「時間」にとって大きな変革でした。それは暦法が変わっただけではなく、生活のリズムとそのよりどころの大きな改変でした。そこに生じたドラマに目を凝らし、「近代日本」を「時間」の視点でとらえることで、わたしたちにとっての「時間」とは何かを見つめ直したいと思います。そして現代のカレンダーをこうした歴史をふまえてとらえ、文化としての暦を考えてみます。

近年も繰り返し、エンターテインメントも含めて登場する陰陽師。来年の大河ドラマ「光る君へ」でも、安倍晴明が重要な役どころになるそうです。イメージが先行して語られがちな存在ですが、歴博の豊富な資料と最先端の知見に基づいて、その実像を知る貴重な機会になりそうです。見逃せないですね。

(美術展ナビ編集班 岡部匡志)

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