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Monday, January 13, 2020

NECはなぜGoogleになれなかったか――量子コンピューター開発「痛恨の判断ミス」 - ITmedia

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本記事は、書籍『誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃』(著・毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班 、毎日新聞出版)の中から一部抜粋し、転載したものです。毎日新聞の取材班が綿密な調査で迫った、日本の科学技術凋落(ちょうらく)の実態。大学の研究現場や、科学技術政策に携わってきた政治家、そして企業にも切り込んだ本書。企業の取材先は、電機メーカーのほか、バイオベンチャー、自動車業界にも渡りますが、今回はNECの事例に迫ります。


 「量子コンピューターを共同開発したい」

 03年ごろ、茨城県つくば市のNEC基礎研究所(当時)を2人の外国人男性が訪れた。それぞれカナダのベンチャー企業の副社長、特許担当と名乗った2人は、「私たちは量子コンピューターに関する、ある特許の使用権(ライセンス)を持っている」と話し、共同研究のメリットを強調した。

photo NECには量子コンピューター開発で後れを取った苦い過去が(写真はイメージ。提供:ゲッティイメージズ)

カナダのベンチャーから「謎のオファー」

 量子コンピューターとは、現在のスーパーコンピューターを遥(はる)かにしのぐ計算能力を持つと言われる「未来のコンピューター」だ。

 量子とは、粒子と波の性質を併せ持つミクロな粒子のことで、物質を形作る原子や、その原子を構成する陽子や電子、中性子、さらにニュートリノなどの素粒子を指す。量子の世界では、マクロな世界の古典力学は通用しない。代わりに量子力学という特殊な理論に従って振る舞い、常識では捉えがたいが、さまざまな状態が同時に重なり合って存在する。

 通常のコンピューターは電気信号を用い、電流が流れている状態を「1」、流れていない状態を「0」と考え、1か0のどちらかの値を取る「ビット」という基本単位を使って計算する。

 一方、量子は1でもあり、0でもある「重ね合わせ」の状態をとれるので、量子コンピューターでは2ビットなら2×2で4通り、Nビットでは2のN乗通りの処理が同時にできることになる。ビット数を増やせば、既存のコンピューターではとても計算できないほど複雑な問題も、極めて短い時間で計算できると期待されている。通常のコンピューターのように幅広い計算に使える「汎はん用よう型」と、特定の計算に強い「特化型」がある。

 現在、各国の企業や研究機関が量子コンピューターの開発にしのぎを削っているが、03年当時は、まだ基礎研究が始まったばかりの段階だった。

 「突然の話だったので驚いた。怪しげだなと思った」。二人の外国人男性にNECの研究員として応対した中村泰信氏はそう振り返る。

「ベンチャーとNECは釣り合わない」

 しかも、2人のいるカナダの企業には、量子コンピューターの理論の専門家がいるだけで、自前の実験拠点すら持っていないという。一方のNEC基礎研究所は、有名国立大や国の研究機関をもしのぐ「世界最先端の実験設備」(中村氏)があり、さまざまな特許も保有していた。微小な炭素材料のカーボンナノチューブなど、ノーベル賞級の成果も複数出していた。

photo 世界中の起業や研究機関がしのぎを削る量子コンピューター開発(写真はイメージ。提供:ゲッティイメージズ)

 「海の物とも山の物ともつかないベンチャーとNECでは釣り合わない」。結局、基礎研究所長だった曽根純一氏の判断で申し出を断った。今でこそ、大企業とベンチャー企業が組んで研究開発をする「オープンイノベーション」が当たり前になっているが、「当時の日本には、まだそういう感覚がなかった」と曽根氏は振り返る。

 このカナダ企業こそ、八年後、限定的な用途に特化した「特化型」のタイプながら、世界初の商用量子コンピューターを発売したDウエーブシステムズ社だった。

 同社が話を持ちかけたのは、NECがその数年前、量子コンピューターの根幹技術を開発していたからだった。

 根幹技術とは、量子コンピューターの計算の基本単位となる「量子ビット」の回路の作成で、基礎研究所にいた中村氏と蔡兆申(ツァイヅァオシェン)氏が99年、世界で初めて作成に成功し、英科学誌ネイチャーに発表した。量子ビットはあくまで理論上のもので、「モノ」としてつくるのは難しいとみられていただけに、論文は世界的な反響を呼んだ。

「世界初の実用化」で敗北……

 当時のNECは、間違いなく量子コンピューター研究のトップランナーだったと言える。それにもかかわらず、「世界初の実用化」の成果を勝ち取ったのは、NECが「パートナーとして考えられない」と相手にしなかったDウエーブシステムズ社だった。

 なぜ追い越されたのか。そのカギを握ったのが、物理学者のセス・ロイド氏(現・米マサチューセッツ工科大教授)だ。

判断ミスの真因は「大企業病」か

 前述の通り、量子ビットは「1」と「0」の重ね合わせの状態になっている。これは通常の電気信号ではなく、絶対零度近くの極低温でできる超伝導などを使っているが、寿命が非常に短く、ナノ秒(ナノは10億分の1)か、長くてもマイクロ秒(100万分の1)単位しかない。外部からの衝撃や振動で、すぐにエラーを起こすという難点もあった。

 ロイド氏は、これらを克服できるとする「特化型」の量子コンピューターの理論に早くから着目し、「実現の可能性がある」とDウエーブシステムズ社に開発を提案した。同社はそれを受け入れ、特化型の開発に転換。いち早く実用化にこぎつけた。

 実はロイド氏は、00年にNECとも量子コンピューターの共同研究契約を結び、何度も基礎研究所を訪れては、特化型の可能性を説明している。だがNECは、当初から目指していた「汎用型」の開発に固執し、結果的に後れを取った。

 もし、Dウエーブシステムズ社との共同研究が実現していたら、あるいはロイド氏の助言を採用していたら、どうなっていただろうか。

 蔡氏は「(方針転換が難しい)大企業病のようなものがあったかもしれない。当時は僕たちのグループが世界の最先端を行っていたのに、先を越されたことは残念だ」と悔やんだ。

 08年のリーマン・ショック以降、NECはかつて世界一の売上高を誇った半導体をはじめ、パソコン、リチウムイオン電池などの事業を次々に売却する。

 それに伴い、研究体制も縮小の一途をたどった。07年度には年間約3500億円あった研究開発費は、18年度には約1000億円まで落ち込んだ。研究員たちも次々にNECを離れ、中村氏は東京大教授、蔡氏は東京理科大教授にそれぞれ転身している。

 研究開発に時間とカネがかかる「ものづくり」を減らしたNECだが、量子コンピューターの開発は継続している。18年には、特化型を23年までに独自開発する目標を掲げている。

 もともと開発を目指してきた汎用型についても、文部科学省の事業に参画し、100量子ビットの実機開発を目指している。事業の代表を担うのは、かつてNECに在籍した中村氏だ。

それでも「出遅れ感否めない」日本

 ただし、世界的に見ると、出遅れた感は否めない。特化型は、先行するDウエーブシステムズ社がすでに2000量子ビットを達成し、20年度には5000量子ビットの実機を出荷すると発表している。汎用型も、米国のグーグルやIBM、中国のアリババなどの巨大企業が開発に乗り出した。各国は数百億〜1000億円以上を投資している。文科省の投資額は18年度から10年間で40億円に過ぎず、投資額の桁が違う。

 日本企業も巨額の投資には及び腰だ。中村氏によると、文科省の事業はほぼ国の予算内で行い、NECはほとんど「手弁当」で加わるという。中村氏は「日本企業は量子コンピューターにそれほどお金を出せる状況にない」と話す。

 曽根氏は「NECはものづくりを手放したことで元気を失った」と残念がる。「多くのシーズ(研究開発の種)を持っていたのに、情けない。基礎研究所で我々は、今のグーグルやIBMのような企業になれると信じて開発してきたが、なりきれなかった」

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